「豊島」の町は漁業、農業を中心に、島東側の豊島瀬戸にかけて広がり、島のいたるところでは手つかずの自然が残っています。 |
「大崎下島」は、西側では豊浜大橋で豊島と結ばれ、東側は愛媛県に面して港町が広がり、高台からは来島海峡に至る瀬戸内海の多島美が望めます。 島の東端に位置する「御手洗地区」は、古くから瀬戸内海の潮待ち風待ちの港町として栄え、現在も歴史的・文化的に貴重な建物や海岸沿いの施設が残っており、「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されています。 また、柑橘栽培が盛んであり、島全体にみかん畑が広がります。 |
呉市豊町に属し、大崎下島、平羅島、中ノ島がそれぞれ平羅橋、中の瀬戸大橋で結ばれています。 | 「岡村島」は、愛媛県今治市の関前諸島にあり、海上農道橋「岡村大橋」で広島県と結ばれ、橋上には県境が記されています。 大崎下島から車で約 10 分でいける岡村港からは、大三島や四国とフェリーで行き来できることから、「安芸灘とびしま海道」と「瀬戸内しまなみ海道」を結ぶ重要な役割を担っています。 島内には、瀬戸内海国立公園の園地があり、対岸の大崎下島の町や観音崎の海岸線ごしに見える四国にいたる景観を望めます。 |
豊島(Toyoshima)
「豊島」の町は漁業、農業を中心に、島東側の豊島瀬戸にかけて広がり、島のいたるところでは手つかずの自然が残っています。
瀬戸内海の豊かな自然に恵まれ、豊島から斎島にいたる海域では、広島県の県鳥「アビ」と共生した珍しい伝統的漁法「アビ漁」が行われていましたが、現在、この海域では「アビ」渡来群遊海面として保護が必要になっています。
大崎下島(Osaki shimojima)
「大崎下島」は、西側では豊浜大橋で豊島と結ばれ、東側は愛媛県に面して港町が広がり、高台からは来島海峡に至る瀬戸内海の多島美が望めます。
島の東端に位置する「御手洗地区」は、古くから瀬戸内海の潮待ち風待ちの港町として栄え、現在も歴史的・文化的に貴重な建物や海岸沿いの施設が残っており、「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されています。
また、柑橘栽培が盛んであり、島全体にみかん畑が広がります。
平羅島・中ノ島(Herashima & Nakanoshima)
呉市豊町に属し、大崎下島、平羅島、中ノ島がそれぞれ平羅橋、中の瀬戸大橋で結ばれています。
岡村島(Okamurajima)
「岡村島」は、愛媛県今治市の関前諸島にあり、海上農道橋「岡村大橋」で広島県と結ばれ、橋上には県境が記されています。
大崎下島から車で約 10 分でいける岡村港からは、大三島や四国とフェリーで行き来できることから、「安芸灘とびしま海道」と「瀬戸内しまなみ海道」を結ぶ重要な役割を担っています。
島内には、瀬戸内海国立公園の園地があり、対岸の大崎下島の町や観音崎の海岸線ごしに見える四国にいたる景観を望めます。
笹島・沖ノ島
▼このスポットの説明
干潮のときは二つの島がつながり、夫婦岩のようです。
豊島大橋
▼このスポットの説明
地元に愛され架橋技術が凝縮する 21世紀の長大吊橋です。平成20年に「豊島大橋」が完成して、本州~岡村島の安芸灘とびしま海道がつながりました。上蒲刈島と豊島の間には小島が添景となり、穏やかな瀬戸内海の景色が広がっています。橋名の碑(親柱)は、地元小学生の書によって記され、愛称は架橋海域に飛来する広島県の県鳥にちなんで「アビ大橋」です。建設には新技術・新工法が駆使され、先進的な吊橋架橋技術が凝縮しており、21世紀では、我が国唯一の海上長大吊橋なのです。
異常気象時の通行規制バーは、踏切遮断機風で一瞬目を惹きます。
空海展望台
▼このスポットの説明
豊島の高雄山の山頂にあり、園内には仏像が建立され、展望台は鐘楼となっています。
この鐘つき堂には「平和の鐘」があり、世界各国の言葉で「平和」と記されています。
園路は四季折々の樹木が植えられ散策が楽しめます。
十文字山公園展望台
▼このスポットの説明
豊島の最高峰十文字山の頂上にあります。アーチをモチーフにしたドーム状の展望台は異国情緒を漂わせます。高さ8mの階上からは美しい島々が点在する瀬戸内海のパノラマが広がり、竹原やこの地域を舞台にしたアニメ作品にも登場して印象的なシーンを演出しています。
尾久比島
▼このスポットの説明
豊島の南東に位置し、アビ渡来群遊海面に面しており、現在は無人島となっています。
三角島・海岸(みかどじま)
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大崎下島の久比港から渡船で渡れます。島内には、造船所やみかん畑などのほか、美加登神社や古墳などがあり、古くからの人の営みに思いをはせる島です。
親水公園
▼このスポットの説明
豊島港のすぐ隣りに親水公園があります。公園の中心には休憩所があり、天気の良い日には、島民の方が散歩を楽しんでいます。公園の海岸側には、豊浜を象徴する、あびや鯛などを描いたレリーフがあります。ここから見る瀬戸内の景色は心を穏やかにさせ、夜はライトアップされて昼間とは違った姿を見せてくれます。
この壁面は、「広島県灯り景観87選」に選ばれています。
豊浜大橋
▼このスポットの説明
アビ舞う瀬戸を結ぶ豊浜大橋です。豊島瀬戸は、豊島と大崎下島の間を流れ、北に三角島と漁港の町並み、南に斎島と「アビ飛来群遊海面」の岩礁が、それぞれ瀬戸内の風景を作り出しています。「豊浜大橋」は、この豊島瀬戸に架かり、広島県で蒲刈大橋に次いで2番目に大きなトラス橋です。橋の高欄には、「アビ」のレリーフが施されて瀬戸内海の上を舞い、「架橋記念公園」から見る架橋は、美しく島に横たわる姿を見せてくれます。
架橋記念公園(巨大ジャングルジム)
▼このスポットの説明
「架橋記念公園」は、豊浜大橋の開通を記念して作られ、園内の巨大ジャングルジムは、テレビでも紹介された名所の1つです。ジャングルジムの頂上から見る景色は、豊島瀬戸が一望でき、爽快な気分にさせてくれます。
大浜海水浴場
▼このスポットの説明
大崎下島の大浜公園内にある海水浴場です。シャワー室・更衣室が完備されており、夏休みには、家族連れや子供達で賑わいます。豊浜の海は綺麗なため、太陽の光でエメラルドグリーンになります。
アビ渡来群遊海面
▼このスポットの説明
広島県の鳥「アビ」が飛来する海です。この地域では、300年の歴史ある伝統漁法「アビ漁」が行われていました。アビは冬になるとシベリア方面から飛来します。斎島近海、豊島から南方へ行くと観測できます。
平羅橋
▼このスポットの説明
最も小さく唯一のコンクリート橋の斜張橋です。「平羅橋」は、大崎下島と平羅島を結ぶ、安芸灘とびしま海道で最も小さい架橋であります。小さいながらも、海面近くの架橋のため、海道唯一のコンクリート橋であり、我が国の斜張橋では初めての工法によって建設されたのです。平羅島から張出す斜張橋は,架橋風景に変化をつけてくれるのです。
中の瀬戸大橋
▼このスポットの説明
安芸灘の柑橘ルートを支えるアーチ橋です。安芸灘の柑橘ルートを支えるアーチ橋です。大崎下島~岡村島に架かる3橋のうち、「中の瀬戸大橋」は、最も新しく、この橋の完成により、フェリー航路につながる柑橘関連ルートが確保されました。先に完成した岡村大橋と同様の形式であり、2連並んだアーチ橋のような姿は、瀬戸内の島々の美しい風景としてアニメ映画などにしばしば取り上げられています。
岡村大橋
▼このスポットの説明
県境をまたいで安芸灘とびしま海道をつなぐアーチ橋です。「岡村大橋」は、我が国で唯一、海上で県境をまたぐ農道橋であり、橋の上には県境ラインがあります。大崎下島側は広島県呉市、岡村島側は愛媛県今治市です。瀬戸内海国立公園の区域内にあることから、形と配色に工夫が凝らされています。中の瀬戸大橋とは2連橋のように見え、架橋公園からは、大崎下島~岡村島までの架橋が一望できます。
小島
▼このスポットの説明
平羅橋、中野瀬戸大橋,岡村大橋の南側にある無人島で、瀬戸の添景となっています。
とびしま館
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日本で最初の海の駅として指定された「ゆたか海の駅」の施設です。売店には、地元や周辺地域の特産品をたくさん揃えており、海の恵みを、ゆっくり、たっぷり味わうコース料理も味わえます。宿泊施設もあり、小型艇のビジター用桟橋も備えているので、ヨットによる近海クルーズも楽しめます。
一峰寺公園
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みかん畑に覆われた大崎下島最高峰の「一峰寺山」山頂にある公園です。展望台からは、島々をつなぐ「中の瀬戸大橋」「岡村大橋」のシンボリックな2連のアーチとともに、本州から四国にいたる瀬戸内の雄大な多島美が美しく眼前に広がります。みかんの季節には、営々と培われた段々畑が、みのり豊かに、彩りあふれる島の姿を現します。
ナガタニ展望台
▼このスポットの説明
歌謡曲にも歌われた観音崎の美しい岬と、大崎下島の御手洗の町を一望できる白亜の展望台です。夕映えの頃に灯るライトの明かりはロマンチックな雰囲気を演出します。
旧柴屋住宅
▼このスポットの説明
「旧柴屋住宅」は、江戸時代の邸宅で、伊能忠敬が瀬戸内海の測量の際に滞在しました。全国に2枚しか現存していない測量絵図の「伊能忠敬御手洗測量之図」には、その豪華な造りと壮大な建物の一端が描かれています。
また、広島藩主が来島した際に休憩する本陣として利用されていました。
幕末以後は、米問屋、船具・金物屋として昭和50年代まで続きました。
御手洗天満宮
▼このスポットの説明
その昔、神功皇后が社殿裏手にある「本川の井戸」で手を洗ったことから、この地を「御手洗」と呼ぶようになったと言われています。
その後、菅原道真が立ち寄った際に手を洗った言い伝えから、明治期に天神像を移して、井戸の側に「天満宮」が建てられました。
境内には、明治期に日本で初めて「自転車での世界一周旅行」を果たした御手洗出身の冒険家で「中村春吉」の碑が建立されています。
また、菅公の歌碑とともに「天神桜」が咲く桜の名所でもあります。
旧金子家住宅
▼このスポットの説明
「金子邸」は、幕末の政治の舞台としても知られています。
1867 (慶応3) 年9月に、薩摩・長州・広島の三藩による倒幕同盟が結ばれました。同年10月に徳川慶喜の大政奉還による政治情勢を受けて、薩長軍の上京の際、長州・広島両藩の大阪での役割を申し合わせる「御手洗条約」がここで結ばれました。こうして、幕末から一挙に時代が開かれていったのでした。
若胡子屋跡
▼このスポットの説明
若胡子屋は、江戸時代に財力を持って茶屋を営み、当時手が入りにくい屋久杉が使われるなど、贅をつくす壮大な町屋建物を構えていました。
現在は、集会所となり、全国有数の港町の繁栄に彩りを添えた茶屋の華やかさと風俗を取り巻く悲喜こもごもの物語を伝えています。
御手洗の町並み
▼このスポットの説明
御手洗は、古くから瀬戸内海の重要な港であり、江戸時代から風待ち、潮待ちの港町として栄え、昭和時代初期までの発展を色濃く残す町並みが往時の生活をいきいきと物語っています。御手洗の町並みは、平成6年重要伝統的建造物群保存地区として国から選定されました。町並みには大小の路地が巡り、商家や住宅、船宿、神社などの建物群が集落をなし、港を形づくる石垣、雁木、高燈籠などが当時のまま残っており、どこか懐かしさを持って出迎えてくれます。
その佇まいは、今や貴重な瀬戸内の港町風景であり、幾度となく映画やテレビドラマ、物語やアニメの舞台となっています。
【主な文化財,史跡建造物】
旧柴屋住宅,若胡子屋跡,天満宮,満舟寺石垣,乙女座,七卿落遺跡,
住吉神社,御手洗港高燈籠,千砂子波止
【その他の見どころ】
昭和初期建築様式の建物群,御手洗寄港の人物ゆかりの名所など
松浦時計店
▼このスポットの説明
明治時代創業の「現存最古の時計店」と言われ、今でも国内外から思い出深い時計の修理の依頼が受けられています。
懐かしい佇まいの店のガラス越しには、あらゆる時計を甦らせる培われた技術が垣間見えます。
店内では全長2mにも及ぶアメリカ製の大時計が、創業時から今もなお時を刻み続けています。
乙女座
▼このスポットの説明
「乙女座」は、劇場がなかった御手洗に昭和12年に建設され、その建物は建築の粋を集めたモダン劇場として一際目立ちました。
戦後は昭和30年代まで映画館として親しまれ、その後、様々な建物の活用を経て、現在、創建当時の姿に復元されています。
畳敷きの客席など内部が公開されており,イベント会場としても活用されています。映画やドラマの舞台などにもなりました。
七卿落遺跡
▼このスポットの説明
幕末の動乱期、討幕派の京都を追われた公卿の三条実美など七卿が長州に落ち延びた「七卿落ち」で、そのうちの五卿が、再度京都を目指すも長州に返す際に御手洗で宿とした屋敷です。
中央部にある茶室は、全国で唯一現存する、江戸期の上田宗箇流の茶室といわれています。
満舟寺
▼このスポットの説明
「満舟寺」は、かの平清盛公が上洛の途中にこの付近で嵐に遭い、一心不乱に祈りを捧げたところ晴天となったため、そのお礼として草庵を建て、行基作の十一面観世音を安置したのが始まりと言われています。この石垣は、羽柴秀吉が四国征伐の際に加藤清正が築造したと言われており、戦国時代の石組みの特徴を持つ安芸灘島嶼部では大変珍しい石垣です。境内にも地元の俳人たちが築いた誰彼塚や大変珍しい亀の形の墓などの見所があります。
大東寺
▼このスポットの説明
「大東寺」は、江戸時代に本堂が建てられた「登光寺」と明治期に若胡子屋の建物の一部を本堂にした「隆法寺」の2つの寺院が合併して「大東寺」とされています。
本堂には、京都の彫刻師が彫ったという、極楽に住むという上半身天女の鳥と竜の欄間などがあります。
船宿(三軒長屋)
▼このスポットの説明
御手洗には西国諸藩の御用商人の役割を受けた「船宿」がいくつもありました。この船宿(三軒長屋)の跡は、現在、喫茶・ギャラリーや工房となっています。工房では、江戸時代の木造和船の模型づくりが行われ、元船大工の匠ならではの技が生かされています。
歴史の見える丘公園
▼このスポットの説明
御手洗の町並みを南に過ぎると、公園への入り口があります。展望台からは、町並み越しに、アーチ橋と島々がつくりだす多島美と来島海峡から四国へ続く景観がパノラマとなって広がります。みかん畑沿いの遊歩道をいくと、散策の楽しみを体感するうちに御手洗の町並みに抜けていきます。
住吉神社
▼このスポットの説明
千砂子波止 (ちさごはと) の鎮守として、大阪の豪商により1830 (文政13) 年に建立された全国的にも数少ない「住吉造り」の神社です。境内の埋め立てでは、御手洗にある若胡子屋など茶屋の遊女たちが砂持を行いました。遷宮式でも、花魁道中を行い竜宮城の様子を演じるなど、住吉神社の造営事業に彩りを添え、玉垣に刻まれた源氏名の数々を見れば、その献身ぶりがうかがえます。
千砂子波止・高燈籠
▼このスポットの説明
「千砂子波止(ちさごはと)」は、江戸時代後期に当時の最高の技術で芸州藩が築いた防波堤で、御手洗の築港に大きな役割を果たし、中国無双と称えられました。
突端の「高燈籠」は、灯台の役目を果たし、高さは6.18mで、当時の繁栄ぶりを現代に伝える歴史の証です。