安芸灘とびしま海道とは
「安芸灘とびしま海道」は、海と島々に息づく美しい景観と魅力に満ち溢れ、安芸灘大橋をはじめとする7つの橋で結ばれた「瀬戸内海に浮かぶ島々が、まるで庭園の飛石(とびいし)のようで、安芸灘へと通じる海の道…」をイメージさせる連絡架橋ルートです。
とびしま海道内には、四季を通じてたくさんの見どころがあるとともに、橋とフェリーを利用して本州と四国とを結ぶ周遊ルートとして、さらなる発展が期待されています。
VR とは? ……VR とは、360度上下左右のどこでも自由に見ることが可能な、全天球パノラマを利用した仮想空間(ヴァーチャル・リアリティ)のことを指しています。
安芸灘とびしま海道へは、山陰・四国・九州・関西からも各高速道路経由でアクセスいただけます。
四国方面(愛媛県今治)からは、瀬戸内しまなみ海道経由、または愛媛県・今治港からフェリーでもアクセスいただけます。
東京・海外からは、航空機または新幹線でアクセスいただけます。
広島空港では東京・札幌・仙台・沖縄・成田間の国内定期便、韓国ソウル・中国大連・北京(大連経由)・成都(上海経由)・台湾台北・香港・バンコクからの国際定期便が運行されています。
※2015年12月現在の情報です。
広島空港定期便について最新の情報は、広島空港公式ウェブサイトをご覧下さい。
安芸灘大橋の本土側にあり、橋の説明板、吊橋の生命線である直径約 42cmの主ケーブルの展示、土木学会田中賞碑があります。橋と島々が織りなすパノラマは絶景です。
安芸灘の景色にライトブルーが映える我が国最大の県道吊橋です。
「安芸灘大橋」は、本州と下蒲刈島を結び、「安芸灘とびしま海道」の本州からのゲートブリッジです。主塔とケーブルのライトブルーは、翡翠色にも見える瀬戸内海と多島美に映り、美しい景観に溶け込んでいます。主塔を見上げると圧倒的な壮大さを実感できます。この長大橋は、我が国の橋梁技術の粋を結集して建設され、都道府県道の橋では我が国最大の吊橋であり、2車線道路橋では世界有数の長大吊橋なのです。
安芸灘大橋の下蒲刈島側にあります。園内には、ひときわ目を引くモニュメント、猫之瀬戸を歌った碑などが来島者を出迎えます。休憩所、トイレ、駐車場を備え、つつじ園(約 40品種)があり散策を楽しむことができます。
あきなだーんのおすすめスポット。蒲刈大橋が一望でき、山頂の「大平山公園」は桜の名所で、蒲刈大橋が一望でき、安芸灘大橋も見えます。
「白雪楼」は江戸時代の末、楼造り(二階建)の漢学研鑚の場として多くの漢学者が訪れた建物です。その後、頼家 9代俊直が明治期に竹原に移して留春居(りゅうしゅんきょ)としたものを、竹原頼本家(春風館)から下蒲刈町に寄贈されました。抹茶を飲む和室には、壁が回転する珍しい「どんでん返し」があります。
館名は下蒲刈に多く自生していた春蘭に由来し、県史跡御番所跡地にふさわしく総桧造りで美しい日本建築の美術館です。瀬戸内の美が描かれた郷土ゆかりの作品をはじめ横山大観や福田平八郎・須田國太郎など日本を代表する作家の作品を収蔵展示しています。また、毎月第 3土曜日 18時 30分から世界的な演奏家や新進気鋭の演奏家を招いてギャラリーコンサートを開催しています。
蒲刈大橋の上蒲刈島側で、高台の瀬戸内海への展望が開けた場所にあります。地域の特産品が並び、食事や休憩ができる総合案内所となっています。「であいの岬」からは、小島浮かぶ海と晴れた日は四国まで見渡せる眺望が楽しめます。
下蒲刈島の南部に位置し、美しい弧を描く白砂の浜は、200mにわたり、濃い緑、青い海と輝くようなコントラストをつくりだしています。
トイレ、シャワーなど各種施設を完備し、キャンプも楽しめ、夏には家族連れでにぎわいます。
下蒲刈島の南にあり、現在は無人島です。西側の下黒島(しもくろじま)と双子のように並び、周囲は岩礁で囲まれています。
安芸灘大橋を渡り下蒲刈島北側海沿いの天神鼻トンネルの先に、しばらくして石畳の県道が現れます。下蒲刈島は、古くから瀬戸内の海上交通の要衝として発展し、なかでも三之瀬港周辺は、全島庭園構想による日本建築と松並木が情緒ある佇まいを見せ、外国船や大名行列の寄港地として繁栄した当時の面影を色濃く残しています。
【主な文化財・史跡建造物】
観瀾閣、福島雁木、三之瀬御本陣文化芸術館、白雪楼、蘭島閣美術館、松濤園、御番所常夜灯など
【その他の見どころ】
全島庭園(ガーデンアイランド)構想による町並み
「三之瀬御本陣」は、江戸時代の外交使節団・朝鮮通信使の案内役を務めた対馬藩の宿泊所として使用され、大名・幕吏・公家などの往来時にも、休泊所として利用されました。『三之瀬御本陣芸術文化館』は、跡地に当時の外観が復元され内部は美術館となっています。
本館より少し高台にあり、三之瀬瀬戸に連なる港町と海と庭園がつくりだす島の美しい風景を眺望できます。この地域にゆかりのある日本を代表する洋画家・寺内萬治郎の作品を常設展示しています。
「松濤園」は、三之瀬瀬戸の潮流を借景に、松を主樹としたみどり豊かな落ち着きと潤いのある庭園で、下蒲刈島の歴史と文化を醸しだしています。園内には、移築や復元された「陶磁器館」、「御馳走一番館」、「蒲刈島御番所」、西洋のランプを集めた「あかりの館」の建物が交流の要所として往時の繁栄ぶりを今に伝えています。
上蒲刈島西側の港で、三之瀬瀬戸に面し、瀬戸内の港と架橋風景を一望できます。
数寄屋造りの住宅「頑愚庵」が移築された昆虫資料館です。下蒲刈の子どもたちが集めた昆虫標本をはじめ、世界の昆虫、民芸品や美術品が展示されており、昆虫を通じて人と自然とのつながり、生命の尊さが分かりやすく伝わってきます。庭園には蝶類が好む植物を植え、自然の蝶たちの姿が見られます。
「蒲刈大橋」は、安芸灘とびしま海道で最初の架橋です。古くから海上交通の要衝として栄えた三之瀬瀬戸の街並みを眼下に、下蒲刈島と上蒲刈島を結び、安芸灘大橋とともに美しい架橋風景をつくっています。激しい潮流に対して当時最新の工法で施工されており、広島県最大のトラス橋です。
「原トンネル」は、みかんのレリーフが目印で、トンネル内からの見る海辺の景色は、あたかも漆黒を額縁にして描かれた絵のような光景で幻想的です。映画の印象的なシーンにも登場しています。
あきなだーんのおすすめスポット。上蒲刈島北側宮盛地区、漁港近くに公園もあり、港町の風情があります。
「桂の滝」の水は、霊水として言い伝えがあり、古くから名水として知られています。水源の桂谷には、古くからの森が残り、根回りが1m近い杉の大木も数多く見られ、常に湿潤な環境が保たれています。
この「桂の滝」は、地域住民による保全活動の状況や効果、水質・水量、故事来歴や希少性などが評価され、平成20年6月に「平成の名水百選」に選定されています。
観音像前の展望台では、山側の険しい岩肌とは対照的に、恋ケ浜や黒鼻半島、さらに県民の浜の先に浮かぶ小島と斎島までが一望でき、遠く四国まで見渡せます。「西泊ロマンの道」の先にある東屋からは、絶海の孤島にいると錯覚さえ感じるほどの絶景が開けます。
国内最大級のマクストフ望遠鏡が設置されており、街の灯りにじゃまされることなく、心ゆくまで星の世界を旅することができます。月、惑星、星雲、星団など宇宙の神秘とロマンを満喫できます。
瀬戸内海有数の自然環境にある「県民の浜」は、美しい砂浜と良好な水質に恵まれ、日本の渚百選、快水浴場百選に選ばれ、海水浴、シーカヤックなどのマリンスポーツが楽しめます。
テニスコートなどのスポーツ施設とともに「かまがり天体観測館」「藻塩工房」などの体験施設を備え温泉施設「やすらぎの館」、宿泊施設「輝きの館」「コテージかまがり」などの一大健康保養地として施設が充実しています。
家族づれから各種グループ、大人から子供まで気軽に楽しめる海浜リゾートの一大拠点となっています。
かまがり古代製塩遺跡復元展示館は、古代土器製塩遺跡を発掘したままの状態が見学できるように復元されています。敷石炉は、角の丸い平石が敷かれていたと考えられ、石はところどころに残っており、赤く焼け、表面が薄利した跡があります。石の周辺からは5世紀の製塩土器の須恵器、土師器なども出土しました。
県民の浜の東方を少し登った高台にあり、伊予灘が広がり四国の山なみが一望できます。西には倉橋の島影が。ここに沈む夕日が美しく、感動的です。恵みの丘農園では、いちご狩り、ミカン狩り、ハーブ工房では、クラフト作り、染色体験、陶芸などを楽しむことができ、レストランでは地元食材を使った料理を味わえます。
干潮のときは二つの島がつながり、夫婦岩のようです。
地元に愛され架橋技術が凝縮する 21世紀の長大吊橋です。平成20年に「豊島大橋」が完成して、本州~岡村島の安芸灘とびしま海道がつながりました。上蒲刈島と豊島の間には小島が添景となり、穏やかな瀬戸内海の景色が広がっています。橋名の碑(親柱)は、地元小学生の書によって記され、愛称は架橋海域に飛来する広島県の県鳥にちなんで「アビ大橋」です。建設には新技術・新工法が駆使され、先進的な吊橋架橋技術が凝縮しており、21世紀では、我が国唯一の海上長大吊橋なのです。
異常気象時の通行規制バーは、踏切遮断機風で一瞬目を惹きます。
豊島の高雄山の山頂にあり、園内には仏像が建立され、展望台は鐘楼となっています。
この鐘つき堂には「平和の鐘」があり、世界各国の言葉で「平和」と記されています。
園路は四季折々の樹木が植えられ散策が楽しめます。
豊島の最高峰十文字山の頂上にあります。アーチをモチーフにしたドーム状の展望台は異国情緒を漂わせます。高さ8mの階上からは美しい島々が点在する瀬戸内海のパノラマが広がり、竹原やこの地域を舞台にしたアニメ作品にも登場して印象的なシーンを演出しています。
豊島の南東に位置し、アビ渡来群遊海面に面しており、現在は無人島となっています。
大崎下島の久比港から渡船で渡れます。島内には、造船所やみかん畑などのほか、美加登神社や古墳などがあり、古くからの人の営みに思いをはせる島です。
豊島港のすぐ隣りに親水公園があります。公園の中心には休憩所があり、天気の良い日には、島民の方が散歩を楽しんでいます。公園の海岸側には、豊浜を象徴する、あびや鯛などを描いたレリーフがあります。ここから見る瀬戸内の景色は心を穏やかにさせ、夜はライトアップされて昼間とは違った姿を見せてくれます。
この壁面は、「広島県灯り景観87選」に選ばれています。
アビ舞う瀬戸を結ぶ豊浜大橋です。豊島瀬戸は、豊島と大崎下島の間を流れ、北に三角島と漁港の町並み、南に斎島と「アビ飛来群遊海面」の岩礁が、それぞれ瀬戸内の風景を作り出しています。「豊浜大橋」は、この豊島瀬戸に架かり、広島県で蒲刈大橋に次いで2番目に大きなトラス橋です。橋の高欄には、「アビ」のレリーフが施されて瀬戸内海の上を舞い、「架橋記念公園」から見る架橋は、美しく島に横たわる姿を見せてくれます。
「架橋記念公園」は、豊浜大橋の開通を記念して作られ、園内の巨大ジャングルジムは、テレビでも紹介された名所の1つです。ジャングルジムの頂上から見る景色は、豊島瀬戸が一望でき、爽快な気分にさせてくれます。
大崎下島の大浜公園内にある海水浴場です。シャワー室・更衣室が完備されており、夏休みには、家族連れや子供達で賑わいます。豊浜の海は綺麗なため、太陽の光でエメラルドグリーンになります。
広島県の鳥「アビ」が飛来する海です。この地域では、300年の歴史ある伝統漁法「アビ漁」が行われていました。アビは冬になるとシベリア方面から飛来します。斎島近海、豊島から南方へ行くと観測できます。
最も小さく唯一のコンクリート橋の斜張橋です。「平羅橋」は、大崎下島と平羅島を結ぶ、安芸灘とびしま海道で最も小さい架橋であります。小さいながらも、海面近くの架橋のため、海道唯一のコンクリート橋であり、我が国の斜張橋では初めての工法によって建設されたのです。平羅島から張出す斜張橋は,架橋風景に変化をつけてくれるのです。
安芸灘の柑橘ルートを支えるアーチ橋です。安芸灘の柑橘ルートを支えるアーチ橋です。大崎下島~岡村島に架かる3橋のうち、「中の瀬戸大橋」は、最も新しく、この橋の完成により、フェリー航路につながる柑橘関連ルートが確保されました。先に完成した岡村大橋と同様の形式であり、2連並んだアーチ橋のような姿は、瀬戸内の島々の美しい風景としてアニメ映画などにしばしば取り上げられています。
県境をまたいで安芸灘とびしま海道をつなぐアーチ橋です。「岡村大橋」は、我が国で唯一、海上で県境をまたぐ農道橋であり、橋の上には県境ラインがあります。大崎下島側は広島県呉市、岡村島側は愛媛県今治市です。瀬戸内海国立公園の区域内にあることから、形と配色に工夫が凝らされています。中の瀬戸大橋とは2連橋のように見え、架橋公園からは、大崎下島~岡村島までの架橋が一望できます。
古墳には箱形石棺が4基あり、公園として整備されています。
正月鼻には平家の落人伝説もあり、瀬戸内の栄枯盛衰に思いをはせる場所です。
平羅橋、中野瀬戸大橋,岡村大橋の南側にある無人島で、瀬戸の添景となっています。
日本で最初の海の駅として指定された「ゆたか海の駅」の施設です。売店には、地元や周辺地域の特産品をたくさん揃えており、海の恵みを、ゆっくり、たっぷり味わうコース料理も味わえます。宿泊施設もあり、小型艇のビジター用桟橋も備えているので、ヨットによる近海クルーズも楽しめます。
みかん畑に覆われた大崎下島最高峰の「一峰寺山」山頂にある公園です。展望台からは、島々をつなぐ「中の瀬戸大橋」「岡村大橋」のシンボリックな2連のアーチとともに、本州から四国にいたる瀬戸内の雄大な多島美が美しく眼前に広がります。みかんの季節には、営々と培われた段々畑が、みのり豊かに、彩りあふれる島の姿を現します。
歌謡曲にも歌われた観音崎の美しい岬と、大崎下島の御手洗の町を一望できる白亜の展望台です。夕映えの頃に灯るライトの明かりはロマンチックな雰囲気を演出します。
安芸灘とびしま海道への海の玄関口で、関前の港町が出迎えます。
ここから大三島に渡ると、しまなみ海道にも通じたルートを周遊できます。
「旧柴屋住宅」は、江戸時代の邸宅で、伊能忠敬が瀬戸内海の測量の際に滞在しました。全国に2枚しか現存していない測量絵図の「伊能忠敬御手洗測量之図」には、その豪華な造りと壮大な建物の一端が描かれています。
また、広島藩主が来島した際に休憩する本陣として利用されていました。
幕末以後は、米問屋、船具・金物屋として昭和50年代まで続きました。
その昔、神功皇后が社殿裏手にある「本川の井戸」で手を洗ったことから、この地を「御手洗」と呼ぶようになったと言われています。
その後、菅原道真が立ち寄った際に手を洗った言い伝えから、明治期に天神像を移して、井戸の側に「天満宮」が建てられました。
境内には、明治期に日本で初めて「自転車での世界一周旅行」を果たした御手洗出身の冒険家で「中村春吉」の碑が建立されています。
また、菅公の歌碑とともに「天神桜」が咲く桜の名所でもあります。
「金子邸」は、幕末の政治の舞台としても知られています。
1867 (慶応3) 年9月に、薩摩・長州・広島の三藩による倒幕同盟が結ばれました。同年10月に徳川慶喜の大政奉還による政治情勢を受けて、薩長軍の上京の際、長州・広島両藩の大阪での役割を申し合わせる「御手洗条約」がここで結ばれました。こうして、幕末から一挙に時代が開かれていったのでした。
若胡子屋は、江戸時代に財力を持って茶屋を営み、当時手が入りにくい屋久杉が使われるなど、贅をつくす壮大な町屋建物を構えていました。
現在は、集会所となり、全国有数の港町の繁栄に彩りを添えた茶屋の華やかさと風俗を取り巻く悲喜こもごもの物語を伝えています。
御手洗は、古くから瀬戸内海の重要な港であり、江戸時代から風待ち、潮待ちの港町として栄え、昭和時代初期までの発展を色濃く残す町並みが往時の生活をいきいきと物語っています。御手洗の街並みは、平成6年重要伝統的建造物群保存地区として国から選定されました。町並みには大小の路地が巡り、商家や住宅、船宿、神社などの建物群が集落をなし、港を形づくる石垣、雁木、高燈籠などが当時のまま残っており、どこか懐かしさを持って出迎えてくれます。
その佇まいは、今や貴重な瀬戸内の港町風景であり、幾度となく映画やテレビドラマ、物語やアニメの舞台となっています。
【主な文化財,史跡建造物】
旧柴屋住宅,若胡子屋跡,天満宮,満舟寺石垣,乙女座,七卿落遺跡,
住吉神社,御手洗港高燈籠,千砂子波止
【その他の見どころ】
昭和初期建築様式の建物群,御手洗寄港の人物ゆかりの名所など
明治時代創業の「現存最古の時計店」と言われ、今でも国内外から思い出深い時計の修理の依頼が受けられています。
懐かしい佇まいの店のガラス越しには、あらゆる時計を甦らせる培われた技術が垣間見えます。
店内では全長2mにも及ぶアメリカ製の大時計が、創業時から今もなお時を刻み続けています。
「乙女座」は、劇場がなかった御手洗に昭和12年に建設され、その建物は建築の粋を集めたモダン劇場として一際目立ちました。
戦後は昭和30年代まで映画館として親しまれ、その後、様々な建物の活用を経て、現在、創建当時の姿に復元されています。
畳敷きの客席など内部が公開されており,イベント会場としても活用されています。映画やドラマの舞台などにもなりました。
幕末の動乱期、討幕派の京都を追われた公卿の三条実美など七卿が長州に落ち延びた「七卿落ち」で、そのうちの五卿が、再度京都を目指すも長州に返す際に御手洗で宿とした屋敷です。
中央部にある茶室は、全国で唯一現存する、江戸期の上田宗箇流の茶室といわれています。
「満舟寺」は、かの平清盛公が上洛の途中にこの付近で嵐に遭い、一心不乱に祈りを捧げたところ晴天となったため、そのお礼として草庵を建て、行基作の十一面観世音を安置したのが始まりと言われています。この石垣は、羽柴秀吉が四国征伐の際に加藤清正が築造したと言われており、戦国時代の石組みの特徴を持つ安芸灘島嶼部では大変珍しい石垣です。境内にも地元の俳人たちが築いた誰彼塚や大変珍しい亀の形の墓などの見所があります。
「大東寺」は、江戸時代に本堂が建てられた「登光寺」と明治期に若胡子屋の建物の一部を本堂にした「隆法寺」の2つの寺院が合併して「大東寺」とされています。
本堂には、京都の彫刻師が彫ったという、極楽に住むという上半身天女の鳥と竜の欄間などがあります。
御手洗には西国諸藩の御用商人の役割を受けた「船宿」がいくつもありました。この船宿(三軒長屋)の跡は、現在、喫茶・ギャラリーや工房となっています。工房では、江戸時代の木造和船の模型づくりが行われ、元船大工の匠ならではの技が生かされています。
御手洗の街並みを南に過ぎると、公園への入り口があります。展望台からは、街並み越しに、アーチ橋と島々がつくりだす多島美と来島海峡から四国へ続く景観がパノラマとなって広がります。みかん畑沿いの遊歩道をいくと、散策の楽しみを体感するうちに御手洗の街並みに抜けていきます。
千砂子波止 (ちさごはと) の鎮守として、大坂の豪商により1830 (文政13) 年に建立された全国的にも数少ない「住吉造り」の神社です。境内の埋め立てでは、御手洗にある若胡子屋など茶屋の遊女たちが砂持を行いました。遷宮式でも、花魁道中を行い竜宮城の様子を演じるなど、住吉神社の造営事業に彩りを添え、玉垣に刻まれた源氏名の数々を見れば、その献身ぶりがうかがえます。
「千砂子波止(ちさごはと)」は、江戸時代後期に当時の最高の技術で芸州藩が築いた防波堤で、御手洗の築港に大きな役割を果たし、中国無双と称えられました。
突端の「高燈籠」は、灯台の役目を果たし、高さは6.18mで、当時の繁栄ぶりを現代に伝える歴史の証です。